ま〜も





『マイノリティ・リポート』
 近未来。トム・クルーズ扮するのは犯罪予防局の調査官。「犯罪予防局」とは、エスパーが予知した殺人事件を未然に防ぐのが任務。この機関の実態が未来とは思えないアナクロニズム溢れるもので可笑しかった。まず予知能力者は全米でたったの3人であり、光る培養液にプカプカつかって人口冬眠状態。このエスパーが未来に起こる殺人の予知夢を見たとき、その断片的なビジョンがスクリーンに映し出され、加害者と被害者の名前が刻印された木製のボールが2個、透明のチューブの中をゆっくりと回転しながら落ちてくる。結婚式のビンゴゲームみたいだぞ。捜査員は彫られた名前を手に取って目で確認して捜査を開始。予知夢スクリーンの前で交響曲「未完成」にのりながらマウスがわりに手をヒラヒラさせて踊るクルーズ。それをジッと見守るスタッフ。手がかりが名前と犯行現場のビジュアルだけなので、それを頼りにほとんど記憶と勘のみで捜査する。「この建物あそこちゃうか?」って。冒頭で犯罪者が衝動殺人を実行する予定現場がたまたま自宅であるのもご都合主義全開で良い。犯人が外出中だったら絶対間に合わないタイミングだったし。今までよく場所の割り出しが間に合ってたなあ、犯罪予防局。未必の故意による殺人は予防できてるのかが気になった。その他、嘔吐棒だの眼球移植だの動くツタだの、B級っぽいノリが満載で良かった。
 以下はネタバレ→アガサの予知能力を利用した黒幕によって引き起こされた事件だが、それらもひっくるめてすべてアガサ(エスパー)のシナリオ通りに物事が進行したのではないか。3人のエスパーが共謀して犯罪予防局の崩壊と、自分たちの隠居生活を手に入れるために誘導した、と。そう考えるとアガサのヒントがすべて断片的で、イマイチ要領を得ていなかったのも意図的だったんだ、とうなずける。



『マグノリア』
「最初のテーマは『悲劇を演出しろ』だ!!」

フランク・T・J・マッキー

 トム・クルーズがまたもやアカデミーを逃したのを記念して、今日は『マグノリア』について書こうと思う。ネタバレ注意。

 この映画はいわゆる「グランドホテル形式」というスタイル。複数の登場人物の物語が同時進行していく感じだ。なので、ストーリーを追って話していくとわけがわからなくなるし、後述する理由によってストーリーなどほとんどどーでも良くなるので、主要人物の解説をしていく。


セックス教の教祖…トム・クルーズが演じる。主役かと思いきや、意外に出番は少なかったりする。自分に自信の無い男を集めてパンフを配り、「女を誘惑してねじふせろ!!」、「NOと言ってやれ!!!」、「カレンダーに印をつけた日まで相手をジラせ!!」、「思いやりがあるフリをする方法!!」。その間ずっと腰をカクカクさせている。アホすぎ。この人のレクチャーだけ3時間観ていたかった。

死にかけのジジイ…ずーっと死にかけ。アップがキショい。最後に死ぬ。

ジジイの妻…若くて美人。夫の死に際して「夫に隠れて何人もの男のアレをくわえた」と弁護士にヒステリックに告白。罪悪感にさいなまれ続け、ドラッグストアで自分に疑いの視線を投げかけた店員に「ファック野郎!!」とののしってから手に入れたクスリで自殺未遂を図る。救急車で運ばれる最中にカエルがたくさん降ってきて車が横転。いちおう命はとりとめた。

ジジイの看護人…いい人なんだけど、なんかホモっぽい。

デブの警官…殺人事件の捜査のため聞き込みに行き、出てきた娘に一目惚れ。思いつきでデートに誘う。大丈夫か? いい人なんだけど、なんかホモっぽい。

元天才のオッサン…雷にうたれてから凡人になった。はっきりホモ。マッチョのバーテンに思いを寄せ、彼と同じうけ口にするために歯列矯正を受ける金ほしさに自分の会社に盗みに入る。「愛が溢れてるのにはけ口がないんだ!」とかなんとか、良いこと言ったで?

黒人の少年…冒頭で起きた殺人事件の犯人のカギを握る。クスリで死にかけているジジイの妻から財布をパクった。

家出娘…迎えに来た父親にわめきちらすシーンが圧巻。というかウルセー。ラリっているところにデブの警官の誘いを受けてアッサリ承諾。ずるずるとデートへ。最後にプロポーズされた。あとで絶対後悔するぞ。

家出娘の父親…長寿番組の司会者。娘が家出したのはコイツがイタズラしたから。番組中に倒れる。そして妻に見放され自殺。

天才少年…クイズ番組の途中でがまんできずにもらす。父親の愛情を渇望しているんだけど、この映画の歪んだ空間の中で観ると、ホモっぽく見えるだけなのが残念。


 ………どう? こんな人たちがかわるがわる3時間ずーーーっとわめいたりラリったりあせったりホモっぽく手を握りあったりするんだ。モーホーやヒステリーやサイコパスの奇態に興味のあるアナタにオススメの一本。
 この映画の最も異常なところは、これだけ登場人物を出して物語をふくらませておいて、ちっともまとめなかったところ。それどころかスゴいオチがあって、いきなり空から大量にカエルが降ってくるんだ。で、街がカエルの死骸だらけになってジ・エンド。何故カエルが降ったかの説明が何も無い。そういえば殺人事件の犯人って誰だったんだろう? という疑問すら忘れさせる演出だった。ラジオでFMのオネーチャンが「これだけの人物の運命があっと驚く展開で最後にひとつにまとまるストーリー」と紋切り型の紹介をしてたけどトンデモナイ。嘘はいけない。「これだけの人物の運命がてんでんバラバラの方角に拡散しきって収拾がつかなくなった頃にカエルを降らせてボンッ!(和田勉風に)」が正解。



『マジェスティック』
 チャールズ・ブロンソンが演じるのは西瓜農園の無骨な主マジェスティック。いよいよ収穫という時に揉め事をおこして警察にやっかいになって落ち込みモードのマジェスティック〜。護送車が襲撃されていつのまにやら殺し屋一味につけねらわれるハメになったマジェスティック。仲間を傷つけられ、大事な西瓜の山をマシンガンでボコボコにされて怒りは頂点に達したマジェスティック! ショットガン片手に殴り込んで全員殺したぜマジェスティック。西瓜を取り入れたかっただけなのにね…
 マジェスティックはただの農夫だが、土壇場でクソ力を発揮する。あまりに無骨過ぎてトラブルを招き込むタイプ。よくよく考えると、最初の揉め事も殺し屋に狙われるようになったのもすべて短絡的な行動が原因だった。巻き添えで住処を追われ、傷つけられたメキシコ人が哀れなり。
 ことあるごとに 「俺は今すぐ西瓜を取り入れたいんだぁ!!」 と怒鳴るマジェスティックが可笑しかった。この男の頭には西瓜しかない。金と女をエサに逃がしてくれ、と殺し屋に交渉を持ちかけられたときも「帰って西瓜を取り入れたい」の一点張り。知り合いが殺し屋一味に車で両足を折られた時よりも、西瓜を粉々にされたときの方が落ち込んでいたような? この男こそ農民の鑑だ。西瓜に「私が作りました」ってマジェスティックがニッコリ微笑む写真がついてたらスゲー嬉しいだろうな〜。



『マシニスト』(→公式サイト
 クリスチャン・ベールが一時期の榎本加奈子みたくヤバい感じに激ヤセしたことで話題になったとかならなかったとか。DVD再生したときに、ダッハウの強制収容所を発見した回の『バンド・オブ・ブラザーズ』を間違えて借りてきたのかと思った。

 不眠症に悩まされる機械工のトレバーの周りで次々に起こる不思議な出来事。一見無関係に思えるそれらの出来事には、すべて理由があった。トレバーは真実に辿り着くことができるのだろうか? 安眠のときは訪れるのか?

 あのー、いつになくネタバレモードで書くのでご了承願いたい。OK? OKじゃない人はこっから先見ちゃ駄目〜。
 いきなりオチから書いてしまうと、トレバーの周りで起こっていた怪現象は、そのほとんどがトレバー自身による妄想の産物、あるいは夢だった。「365日眠っていない」という認識も誤りで、不眠症でありながらも日常の端々で軽い眠りに落ちている。その眠りの最中に見た夢を覚醒してからも記憶していて、現実と混同してしまっていただけ。また、場所や状況と関連づけて何度でも同じ夢(に出て来る登場人物)を見る症状でもあるらしい。そのため、本人は余計に現実と夢をごっちゃにしてしまったのだろう。そして、この映画は偏執的なまでに夢の「理由付け」にこだわっている。発端の出来事と本編の幻覚を照らし合わせると、「〜だからこういう幻覚を見たのだ」という具合に、そのほとんどに原因(事故現場の映像)を基にした理由付けもしくは推論ができるようになっている。なので、2度目に見るときの方が面白いはず。「はず」と書いたのは、僕はもう一度見る気にはなれなかった実は映画そのものはそんなに面白くない(←ネタバレ)んだよね。どっちかと言うと「見た後に人の感想読むほうが面白い系」の映画かも。基本的に「夢オチ」だし。だけど、ここまで夢の内容にこだわった映画も滅多に無いよ。立派。一芸に秀でている感じ。荒唐無稽な話なんだけど、見終わるとこんな男がこんな幻覚に悩まされてたんだな、って気に不思議となるもん。うそ臭くは無い。面白くはないけど。
 この映画の最大の見所は、『スターシップ・トゥルーパーズ』、『トータル・リコール』に引き続きまたもやマイケル・アイアンサイドの腕がもげるシーンだろう。どーいうこと? なんでこの役者はこんなにも腕が取れるのか。腕ですよ? カステラじゃあるまいし。まさか役者本人に腕が無いとか?

補足説明

・原因を基にした理由付けもしくは推論…お化け屋敷の映像などはその最たるものだろう。このシーンはかなり好き。

・もう一度見る気にはなれなかった…映画を見て感心した人はDVDの映像特典も見ることをお勧めする。「説明的過ぎてカットした」と監督が語る何気に重要なシーンが複数有り。

・「見た後に人の感想読むほうが面白い系」…実はこの映画を借りてきたのは『鉄の靴』の杉浦さんの(mixiでの)感想を読んだから。映画本編より感想の方が面白かった。

・うそ臭くは無い。面白くはないけど。…決定的な何かが欠けている感じだ。喩えるなら「美人だけど性格激悪」、「めっさ性格良いけどブス」のどっちかだな。あ〜、でも美人が僕と積極的に関わってくると思えないから、ブスの方かな。っつーか、なんでこんな真面目に吟味してんだよ。なんかアンガールズの田中みたいになってるよ。山根どこ?



『魔女の宅急便』
「飛べない魔女はただの女だ。同情を欲したときに全てを失うだろう」
 飛べないまんまで屋根裏部屋で春をひさぐはめになんなくて良かった良かった。



『マチェーテ』(→公式サイト
 ロバート・ロドリゲス監督。『グラインドハウス』のスピンオフ。濃い顔俳優の筆頭格にして大本命のダニー・トレホ主演作。おまけに濃い顔女優筆頭格のミシェル・ロドリゲスも共演。顔面濃度200%のアクション映画だ。

 要人暗殺を依頼されたトレホは標的の狙撃に成功するが、計略にはまり全部の罪をひっかぶされて逃げまわるはめになった。

濃い顔  あんまり考えなくていい映画にしても、暗殺を普通にトレホがやってたとしても追われることに変わりないんじゃね? ……という突込みどころは置いておく。
 単純なアクション映画と思いきや、意外に人物が多数登場してその利害関係が錯綜するおかげでかなりややこしいことになっている。トレホが出てくる爽快アクションシーンは素直に面白いんだけど、それ以外の人らも頑張っちゃうおかげでトレホの預かり知らないところで勝手に相討ちしちゃうパターンも結構あったりして、単純なカタルシスにいささか欠ける気がする。中ボス格がトレホといっこも戦わないんである。これは頂けなかった。
 しかし脇をかためる俳優陣が曲者揃いで彼らの挙動を眺めるだけでも相当見応えがある。名前もないような脇役も無駄に漫画チックにキャラが立ってたりするし。この映画自体スピンオフだが、ここからさらにいくらでも派生していけそうだ。

補足説明

・勝手に相討ちしちゃうパターン…駄目なアクション映画でありがち。



『マッチスティック・メン』(→公式サイト
 ニコラス・ケイジが潔癖症の詐欺師を演じる。全体的にまったりとしたテンポに、ケイジの情けない表情が拍車をかける。詐欺パートよりも、病的な潔癖症である主人公が繰り返す奇行の方が面白かった。僕の好きな『レインマン』とも似通ったテイストだ。どうして「マッチスティック・メン」が「詐欺師」という意味なのかと言うと、その昔いかさま賭博の胴元として名を馳せたマッチスティック伯爵が、ボロ儲けした資金を背景にして開発したのが、大好きなトランプをしながら片手で火を起こすことができる道具、すなわちマッチスティックだった…とか出鱈目言うやつおりまっせ?



『マッドマックス2』
 初期の『北斗の拳』その他、さまざまな作品に影響を与えたと思われる近未来バイオレンス・カーアクション巨編。良い続編の見本。スゴいカーアクションを見せるためだけにその他すべてを捻じ曲げた潔さ。 小学生のときに劇場で観て大変な感銘を受けた。 「こんな暴走族になりたい…」 さっそくサントラのカセットを買い、自転車のスポークに針金のジャラジャラをつけ、ペイントマーカーでサドルや泥よけを塗りたくって近所を暴走、通信販売のブーメランに値段分の切手を送ったが、商品は送られて来なかった(詐欺)。「こんな映画を撮る監督になりたい…」と思わなかったことが悔やまれる。なお、3作目は悪い続編の見本。



『マッハ!』(→公式サイト
 タイからすごいアクション映画がやって来た! ワイヤーアクションやスタントマンを一切使わないガチンコバトルだとか。

 タイの貧しい農村から村の宝である仏像の首が盗まれた。ムエタイ青年が取り返しにバンコクまで出かけた。

 導入部。本格的にアクションが始まるまでがとにかく冗長なんだけど、そこを過ぎれば近年稀に見る本気(痛そう)バトルのオンパレード! すごい! この興奮は『プロジェクトA』以来だろうか。主役のトニー・ジャー(誰?)の身体能力が抜群だ。パッと見郷ひろみと我修院達也をミックスしてフックで釣って一晩ほっといたような微妙なルックスなのに! また、脇を固めるスタントマン達の「1人や2人死んでんじゃねーの」級の心底痛そうな捨て駒っぷりも素晴らしい。いいぞ! 死んで花実を咲かせてみろ!
 韓国映画の「前蹴り」に相当するのがこの映画の「肘・膝による打撃」だ。ムエタイの特色なんだが、もうパンチよりも肘! キックよりも膝! タイ人は膝から生まれてくるに違いない。だいたい、ダウンしてるやつに飛んでって膝叩きこんでたけど、あれ加減できないからな。ただの自由落下だし。何を考えてるんだ。
 主役のトニー・ジャー君は恐らく今後2,3作が最も死亡率が高い仕事になると思うので、刮目して見守っていきたい。死なないで!



『マッハ!弐』(→公式サイト
 『マッハ!』、『トム・ヤム・クン』などで常にギリギリのスタントアクションに挑んできたトニー・ジャーの最新作。今回は自らメガホンをとるという。う〜ん。不安。

 アユタヤ王国により侵略される昔のタイで、若き王子が父親を殺され盗賊団に拾われてスクスク育った。

 やった! 本人が監督と聞いて一人二役とかラブストーリーを絡めるだとかホームコメディ調とか子供に手を焼くだとか、ちょっと名の売れたアクションスターが陥りがちな失敗を恐れていたんだけど、実に単純明快なストーリーにアクションが絡む痛快娯楽作品に仕上がっていた。ドラマ部分の演出にやや拙い部分が見えるけど、これが(多分)初監督とは思えないくらい上手に撮れているレベルだと思う。相当勉強したんだろうねー。こっち方面でも期待してもいいかもしれない。
 舞台がアユタヤの頃のタイ王国ということで、前2作のパルクールやムエタイ一辺倒のアクションとは少々毛色が変わり、暗器や形意拳、さらには酔拳なども取り入れた、より進化した戦いを見ることが出来る。そのひとつひとつの密度が半端なく、いちいち格好良い。中でもイチオシは酔拳で、寝ながらの足払いや豪快な投げ技、倒れ込んでの肘打ちなどのお馴染みの技の数々は見ていて面白かった。まさにサービス精神満点。いいぞ! トニー・ジャー!!



『マトリックス リローデッド』
「メイトリックスって言えや」とか言う奴。
夢に出そうな戦闘シーン

 すでに3作目『マトリックス レボリューションズ』も作られているそうで、最後に「to be continued」とか出るタイプの、言ってみれば独立して見ることを最初から半分(3作だから1/3か?)放棄した映画なのだが、それなりに面白かった。アクションシーンだけが目当てなら90点ぐらいあげてもいい。
 このシリーズの魅力を突き詰めるに、以下の2点に絞られる。

1.マトリックスの謎
2.マトリックス世界の法則を踏まえたアクション

 1については、前作では『不思議の国のアリス』などを引用しながら、仮想現実と、世界の真実の姿が徐々に解き明かされて行く面白さがあった。しかし、今作は続編の悲しさ、大方の謎はすでに前提であり、そういった意味での楽しさは半減している。また、最後にマトリックスとザイオンを含めた「世界の構造と歴史の謎」がある人物によって語られるが、前作のような衝撃は無い。個人的には、むしろ興醒めした。
 2について。散々パロディにされた「マトリックス避け」や「スローモーションの多用」や「バレットタイム・アクション」は、今回ほどほどに(漫画的にならない程度に)抑えられており、逆にまともな(重力を感じさせる)アクション・シーンが増えた。個々のアクションを見ると、ハイウェイを舞台にした派手なものから狭い室内での格闘、ネオ対エージェント・スミス達の夢に出てきそうな戦いなどなど、バリエーションに富んでいる。これらのシーンを緩急の「急」だとすると、問題は「緩」の部分。今回はマトリックス&ザイオン(仮想と現実)における灰色の部分、すなわち主人公のネオ達にとって敵か味方か定かではない勢力との協力と対立が描かれているんだが、様々な要素を積め込み過ぎたせいか、それらの勢力に魅力が乏しい。生きてない。とって付けたようであり、3作目を見越してなのか、明らかに消化不足な観がある。ので、やりとりが緊張感に欠ける。禅問答のような会話が繰り返されて眠くなるのである。これは恐らく、核となる謎(=秘密)の部分が不在のままあたかもそこに謎があるかのように語っているという理由もあるだろうか。迫力のアクションも、合間合間に挿入される退屈なドラマとの割合のバランスが悪いせいで、どうも通して見ると心が解放されない。カタルシスを得ることができない。そもそも、始まってから相当の時間を占める地底世界ザイオンとそこで暮らす人達の描写が冗長な上に、見終わって振り返ってみると、(今作中では)大して伏線としても機能していないのだ。全く無駄なシーンと言えなくも無い。だいたい、文明が衰退した後だからと言って、太鼓を叩いたり、首飾りをジャラジャラさせて踊ったり、アニミズム風味に描くのが滑稽だ。CGの斬新さに比べて、あまりにもお座なりな印象。現実に彼らが利用しているテクノロジー(飛行船や、指だけで操作できるモニターなど)とのバランスが取れていない。しかしながら、これは難しい問題だ。すでに、ハイテクとローテクが混在する「近未来像」は出尽くしているから。だからこそ、我々を取り巻く「環境」から方向転換して脳やイメージ、システムといった「内側の世界」を構築し、スクリーン上に描き切った前作『マトリックス』を驚きと共に見ることが出来たわけだが。閑話休題。リンクと妻、ネオを慕う少年、ザイオンの反乱分子、モーフィアスのライバル、などなど、1作目には出てこなかった人物のドラマも、取って付けたような印象を受ける。これらの人物の動向が主人公であるネオと過去・現在においてほとんど関わってない(ように見える)のが痛い。彼らをひとつの運動に喩えると、とりあえず運動量だけが定められているんだが、その方向が定まっていない。暗闇に向けてボールを放ったような、何とも収まりの悪い、割り切れない思いが残る。「ネオを慕う少年」にしても、なんで慕うのかがわからない。「ネオに救われた」と本人が語るだけで、回想シーンなり登場人物の会話なりで観客に説明されることは無い。外伝的に想像を掻き立てようとしているのだろうか。
 久しぶりにグダグダ書いてしまったが(本当はこの10倍は書き散らしたいが、割愛)、ひとことで言うと「消化不良」な印象。しかし、これらのアラは、すべて「3作目があるから」という点(言い訳?)に収束するんだと思う。作ってる人もそのつもりで(一見)退屈なシーンを多々入れたんだ、と思いたい。11月に公開される「マトリックス レボリューションズ」まで評価を保留したくなる(せざるを得ない)映画だった。



『マトリックス・レボリューションズ』(→公式サイト
 2作目の感想を書いた時点では、それなりに期待していたんだが、その後に公開された予告映像を見るにつけ徐々に不安感がつのっていた。そして、その予感は見事に的中…というか、正直ここまでつまらないとは思わなんだ。1でやめときゃ良かったね。…と、ここまでがネタバレなしの、あたりさわりのない大人の感想。ここからは得意になってずけずけと語り始めるので未見の方や面白い感動したゆーとる人は読まなくていい。帰ってよタクシー代払うから。鍵も返してよ。
 何から書いて良いやら迷うんだが、まず何がつまらなかったって、クライマックスであるザイオンでの攻防。『エイリアン2』に出てきたパワー・ローダーみたいなんがたっくさん出てきて、ミフネ隊長が「どうせ死ぬんだし、この際思いっきりハメはずしちゃおー(^o^)/」と、味方を鼓舞するんだか気落ちさせるんだかわからん号令をかますと、機械クラゲの大群と一大バトルが始まる。これがもう、個人的に不思議なほどノれなかった。CGはすごいんだけどなー。なんでだろ。まず、予告で不安になった原因であるパワー・ローダーもどきがいけない。『エイリアン2』のパワー・ローダーは、もともと貨物運搬用のロボットだったのを、エイリアン・クイーンに追い詰められたリプリーがやむを得ず搭乗するから格好良かったんだ。ジャッキー・チェンが椅子や自転車で戦うようなもん。それなのに今作のロボットは、初めから機械クラゲを想定した兵器にも関わらず武装ヘボすぎだしコックピットは露出してるし足はのろいしジャミングするしで、一体ザイオンの奴らは何を考えてるんだろうか。地底の悪い空気で脳がスカスカになったのかしら。可哀想に。このロボットたちときたら、弾丸が無くなったら「リロード」って生身の人間に弾倉を運ばせる。その2本の足は何の為についてるの! 白ける〜。弾丸運びを護衛する兵士が装備してたレーザー銃の方が小回りがきいて強そうだったぞ。あとなー、あれだけ劣勢だった人間側がECMだかいう機械麻痺させ装置のおかげで一発逆転してしまうのも興醒め。なんだそれ。都合良過ぎ。『スター・ファイター』か? ばっかやろーどもが。攻められる前にそれ持って全員で地上に突撃しとけって。地底でお粥ばっか食って脳に栄養がいってなかったのかしら? 可哀想に。しかし、機械の設定云々はまあ大目に見るよ。そんなとこに真面目につっこんでもしょうがない。ノれない理由の最たるものは、決戦の舞台にネオもトリニティーもモーフィアスも関わってないこと。これはおかしい。活躍したのは黒人司令官とミフネ隊長と『エイリアン2』のバスケスみたいなGIジェーンとリンクの妻と、アニマトリックス(未見)で「ネオを慕う少年」として描かれたというパンクっぽいハゲ坊主。こいつら全員に何の思い入れもないんだけど。黒人司令官は評議会の面々ともミフネ隊長とも微妙にキャラがかぶってる、いないほうがスッキリする登場人物だし、ミフネ隊長は浅黒くて鼻の穴が大きいし、GIジェーンは3作目にして突然出てきた一見さんだし、リンクの妻はリンク自体ギャラでごねておろされた人の代替キャラなので心底どーでもいいし、ハゲ坊主に到ってはネオといっこも絡んでねーし。ミフネ隊長と乳繰り合ってる場合か。GIジェーンの死に方もヘボい。バスケスに遠く及ばず。やっぱこういうキャラは味方をかばって討ち死にするか、特攻するかしないと。結局『〜リローデッド』で出てきたザイオンの新たな登場人物ってのは、ネオがどっか行ってる間に間を持たせるためだけに存在するダミーキャラだと判明。ついでに言うと、この決戦のときに元カノのナイオビに顎でつかわれて「さ、30度? 60度?」ってあたふたパネルを操作してるモーフィアスが壮絶に格好悪い。幻滅〜。ナイオビもサングラスはずしたら誰かわかんなくなるだろ。ただでさえ有象無象の登場人物が沸いて出てくるシリーズなんだからどっちかにせい。そして、まだあるんですよザイオン決戦にノれない理由。機械クラゲにしろパワー・ローダーもどきにしろ、たっくさんいるのを遠くから撮るCGショットばかりで、メリハリが無い。機械クラゲなんか同じ動きだし。よくできたスクリーンセーバーとか蚊柱を眺めてるようなもんで、すぐに飽きてくる。背景もザイオンの黒っぽい鉄骨世界だから、余計に嘘っぽい。こういうCGを使うときは、何か比較対象になる現実の(我々の世界にある)風景や生物がないとスケール感に欠ける。
 本来なら見せ場になるはずのマトリックス世界ではアクション・シーンが驚くほど少なかった。前作であれだけ苦戦したメロビンジアン一味とはあっという間にけりがつく。やけにものわかりが良かった。ここで複数の銃器が交差する「メキシカン・スタンドオフ」の手法が使われるんだけど、マトリックスの世界でそんなことされても、燃えない。現実の世界と銃の重みが違うから。ていうか、ああいう場でこそ最大限に役立っただろう白い双子はどこ行ったんだろう。あの爆風で死んだのか。メロビンジアンは結局何がしたかったのか。バーチャル・セクハラが最大の見せ場だったね。それからモニカ・ベルッチはただの乳見せ要員。スクリーン上の大きさにして牛6頭分の胸の谷間を、まったく同じアングルから2、3回見せて消息を絶った。眠気覚ましにときどき出て来て欲しかったんだけど。あとインド人の親子は何だったのか。理解不能。セラフは女の子と逃げて、スミス100人に追い詰められて、さあここからマトリックスファイト!! …ってときに、なんとシーンが飛ぶ。次のシーンで女の子はスミスに同化したことが明かされるんだけど、そういうのは省略と呼ばないから。手抜きだから。セラフはどうしたの? 大人しく女の子を差し出したのか? 次にオラクル。役者が糖尿病で死んだらしい。なんか顔色悪かったもんね。そんで、似ても似つかない劣化コピーみたいな黒人のばあさんが現れ「なんでこうなったかは上手く説明できない」と語る。「ばあさんの代わりが黒くなったばあさん」って、ギャグのつもりかそれは。チェンジするほど酷くなっていくコールガールのコントを思い出した。どうせなら萌えキャラっぽい女の子が「あはははは! オラクルなんだからっ☆」って出て来て欲しかった。その方がオタクらしく、なおかつ「革命が循環する」雰囲気を醸し出せるのに。この例からも薄々わかるように、作り手の中に確固とした世界観や法則が存在しない説が濃厚だ。一本筋の通った世界観があるのなら、役者が死んだからって、それを作品にフィードバックさせてセリフで無様な説明させたりはしないでしょ。オラクルみたいな重要な役ならなおさらだ。だからマトリックスについていろいろ解釈したりするのは馬鹿馬鹿しいと思う。そんなご大層なもんじゃないよって。適当に好きなアニメやマリリン・マンソンやブルース・リーを煮しめて、どっかのSF小話からとってきたストーリーに詰め込んだのが『マトリックス』であり、それで十分に面白かったはずなのに、周囲のインテリぶった解釈や意味付けに作り手の方が翻弄されてワヤになった観があるな。
 ネオとトリニティーが単騎で地上に突撃。トリニティー、死亡。ダイイング・メッセージが不自然に長かった。なかなか死なないコントみたいだった。実はこの辺になると睡魔に襲われて意識が朦朧としてたんで、悪いけど何を言ってたか全く記憶に無い。同じような場面で直接心臓マッサやキスで蘇った前科があるので心情的に全く盛り上がらないし。そしてスミスとネオの最終決戦。1千万人に増殖したスミス対ネオのバトル! …は前回やっちゃったので1千万人中の代表スミスとのタイマン勝負。残りの9999999人のスミスは汁男優よろしくただまわりでボサーッと見てるだけ。なんだそりゃ! そして、半分寝てたのでよくわからんのだが、ネオと同化したスミスが内部から崩壊するという完全に1の焼き直しな結末。ここら辺になると、座席の中で位置を調節して積極的に寝にいってたから。機械のボスが「終った…」とつぶやいて知らせてくれたので目覚めると、機械クラゲがいっせいに攻撃をやめ、地上に戻るところだった。……え? 意味がよくわからないんですけど? 終ったって、何がどう? 地底ではハゲ坊主が「ザイオンが勝ったー!」と叫ぶ。勝ってないだろ! かろうじて現状を維持しただけだろ。電池人間を解放して地上を取り戻すのがザイオン人の目標かと思ってたんだけど、違うみたい。ただ生き延びたいだけなら、船で地上にちょっかい出すのやめれ。ばっかやろーどもが。
 最大の争点であったはずの拉致された電池人間問題は何も解決されないまま、ザイオンに偽りの平和が訪れてジ・エンド。勝手にやってろよ、スカプラチンキ! お前らもう、滅んでいいよ!
 リローデッドの感想で棚上げにした評価だけど、2本同時に作った意図が単に商業的な理由だったと確信。パート2、3の無駄な会話を削って1本にしてくれ。適当に愛とか平和とか言って人類が抱き合って幕を閉じれば観客が喜ぶとでも思ってるのか。馬鹿にすんな。「巨悪は滅びず」という幕引きも、3作続けた以上しないで欲しかった。1800円払ったら、キッチリ1800円分損させてくれる稀有な映画。あと、パンフレットでかすぎ高すぎ中味なさすぎ。2で懲りたので買わなかった。



『魔法使いの弟子』(→公式サイト
 現代のNを舞台に、魔法使い(ニコラス・ケイジ)と弟子が悪の魔法使いと壮絶な魔法バトルに火花を散らす! ……というものすごくわかりやすそうなプロットに惹かれて鑑賞に行く。僕の中でニコラス・ケイジがこういう娯楽作品に出演するときは、それほどハズレがない印象なので。安心のブランド、ニコラス・ケイジだ。

 魔術師マーリンの三人の弟子は悪の魔女と戦っていたが、一人(アルフレッド・モリーナ)の裏切りによりマーリンは死亡。魔女は裏切ってない弟子(モニカ・ベルッチ)と共に封印され、裏切った弟子は最後に残った弟子(ニコラス・ケイジ)により封印された。その後ニコラス・ケイジは世界を放浪し、魔女を倒すことのできる選ばれし竜の魔法使いを探す長い旅に出る。そして現代のNYで素質を持つ男の子を発見するが、ふとしたきっかけで裏切り者の弟子が復活したが、ニコラス・ケイジの捨て身の反撃により二人共ツボの中に封印されたが、成長し立派な物理オタクになった青年の元に壺から出てきたニコラス・ケイジが来て裏切った弟子が逃げたから魔女の復活を阻止しようぜって言った。ニコラス・ケイジが。

 なんか複雑そうな出だしだけど、ここまではテンポよく冒頭30分ぐらいで語られる。そこからは物理オタクの青年&ニコラス・ケイジの魔法使い師弟コンビVSアルフレッド・モリーナの戦いがずっと続く。この魔法の数々がもう次から次へと出し惜しみしてない感じで楽しかった。アルフレッド・モリーナのどこか憎めない悪役っぷり、モニカ・ベルッチも妖艶丸出しで良い。ディズニー作品ということで、『ファンタジア』のセルフ・パロディも有り。モップが歩いて掃除したり、稲光を高圧コイルの放電に置き換えて楽曲を奏でたりする。

補足説明

・安心のブランド、ニコラス・ケイジ…飲食屋のメニューで言うと、唐揚げ。もしかしたらハリウッドでも唐揚げって呼ばれてたりして。ケイジ。



『マルコヴィッチの穴』
 「マルコヴィッチの穴」に入ると15分間だけマルコヴィッチの視点を通じて世界を体験できる。 アイデアがすごく変。アングラっぽい内容なのにそれなりにヒットしたのは宣伝の勝利だろう。続編は「キャメロン・ディアスの穴」でお願いします。



『マルタイの女』
「人生は実に中途半端な、そう、道端のドブのような所で突然終わるもんだよ」
 この映画は、このセリフを津川雅彦が淡々としゃべるシーンに尽きる。そこしか覚えてない。



『マルホランド・ドライブ』
 カンヌで高い評価を得たらしいので『ロスト・ハイウェイ』よりはわかりやすく作ってあるかもしれない、という予想は見事にはずれ、やっぱりわけわかんねーよ! 誰か説明してくれよ! わかるのはリンチの娘ぐらいだろう。それが面白くて観るんだけど。妙なキャラクター&エピソード満載,butオチなし意味なしレズあり。『ツインピークス』の赤い部屋にいた小人がまた出てたけど、ピクリとも動かないので心配になった。

補足説明

・リンチの娘…小説版『ツインピークス』を書いた。

・『ツインピークス』の赤い部屋にいた小人…よくわからんが黒幕らしい。きっとコイツが真犯人だ。悪いのは全部コイツだってことにしとこう。




『マン・オン・ザ・ムーン』
「あっと驚くラ・ロシュフコー!」
アンディ・カフマン
 ジム・キャリーが伝説のコメディアン、アンディ・カフマンに扮して画面狭しと大暴れするドキュメンタリー・タッチの映画『マン・オン・ザ・ムーン』。
 もともとオーバー・アクションのジムがものの見事にカフマンとオーバー・ラップして、非常に伸び伸びと演技している。往年のカフマンを知っている人なら2倍楽しめること請け合いの超B級(?)エンターテイメントだ。
 以下に僕が思わずニヤリとしてしまった箇所を列記してみる。


幼少の頃から人を笑わせるのが好きだったカフマン。ハロルド・ロイドの物真似で「アラバマのロイド」と近所の評判になる。

このシーンでのロイドの物真似が実に本物そっくりで驚いた。なんでもジム・キャリーは一週間スタジオにこもりっきりでロイドのフィルムを総チェック。遺族に取材し、プライベートにわたるまで入念に下調べをしてから撮影に挑んだとか。しかし往年のロイドの表情や動作を知っている人がどのくらいいるのやら…。

喜劇スターとして売り出し中のカフマンは、より過激な演出を求めるあまり、自らのカツラに火薬を仕込んで破裂させる。しかしスタッフが火薬の量を間違え、一週間生死の境をさまよう。

かのデビット・リンチがこの有様をブラウン管で目撃。インスピレーションを得て『イレイザー・ヘッド』を撮ったという話は映画ファンなら誰もが知っているエピソード。また、カフマンは眉毛が無くなってしまったことを逆手にとって「眉毛ボーン!」というギャグを編み出し、一層人気を博した。まさに怪我の功名?

あまりに過激になりすぎたパフォーマンスにスポンサーが苦り始める。ある日、人種差別をネタにしたギャグを収録した回がすべてカット、放映見送りに。激怒したカフマンはプロデューサーを人質にしてテレビ局を占拠。無理矢理オンエアさせてしまう。

この事件の顛末は『キング・オブ・コメディ』という映画になった。「笑いとタブー」について考えさせる一幕。ジム・キャリー自身も「僕もなんとなくカフマンの気持ちがわかるような気がするんだ。つまり、抑圧から解放してくれる装置としての『笑い』に国境なんか設けるべきじゃないんだ、ってね。おっと、ここはスポンサーには内緒だよ」と冗談混じりに語った。

出所したカフマンはショービジネスの世界から総スカンをくらう。場末の演劇場でノミのサーカスの芸で細々と糊口をしのいでいた。そんな彼は、先の爆発事件の後遺症で35才で帰らぬ人となった。

すっかり落ちぶれたカフマンを支えるバレリーナ役の女の子が可愛い。まだ無名の新人ながら、筆者は要チェキ! と見た。また、女の子の晴れ舞台を見ながら最期を迎えたカフマンがつぶやく「幕を下ろせ。喜劇は終わった」という言葉はあまりにも有名。生粋の役者バカ、コメディアンバカぶりが伝わってきて、筆者の周囲ではすすり泣きの声もチラホラ。



 以上。

 どうですか? 楽しそうでしょ? 僕もこんな映画なら観に行きたい。実は『マン・オン・ザ・ムーン』観てないんだ。ネットで映画館の案内文読んで適当に出鱈目でっち上げマチタ。
追記:その後ちゃんと鑑賞。感動したー。



『ミーン・マシーン』
 この映画、公式サイトの宣伝文句が「『ロック・ストック』&『スナッチ』のスタッフが送る」。主演は『スナッチ』の不気味な殺し屋「ブレット・トゥース」ことヴィニー・ジョーンズ。監督はバリー・スコルニック。…聞いたことないが、『メメント』のノーラン監督みたいに期待の新星ということもあり得る。ひょっとすると隠れた名作かもしれない。高鳴る胸を抑えて鑑賞。
 結果、最後に寝た。どこがどうとは言えないけど、つまらなかったことだけは確かだ。不思議な味のある駄作。内容的には刑務所を舞台にした看守対囚人のサッカー映画。コミカルなタッチなんだけど、ギャグがギャグとして成立していない。「作り手が笑わせようとしている」という認識すらできないシーンが多すぎる。なんとなくそれらしい場面はたくさんあったのだが…。ギャグ以外でも、ストーリーが微妙に破綻している。「感動させようとしているらしい」、「泣かそうとしているらしい」場面はあるのだが、演出以前に、下手をすると編集のレベルで、素人目にも駄目だと感づく場面がテンコ盛り。最も顕著なのが、一番の山場であるサッカーの試合での点数の入り方。囚人チーム(主人公側)が2点先取し、その後に看守チームが2点入れる。映画的に盛り上げようとするんなら1点づつ交互に入れないか? 少なくとも先制点を看守チーム側に取らせると思うんだが。2−2の同点になってからは、寝ていたのでよくわからないけど、とりあえずハッピー・エンドになったようだ。一体なんだこの映画は。



『見ざる聞かざる目撃者』
 殺人現場に居合わせて嫌疑をかけられた盲人と難聴が香水の香りと後ろ姿を頼りに独自の調査を開始するコメディ。こういう差別ネタは料理次第では面白くなりそうなんだけど、駄目駄目。難聴の方なんか読唇術のおかげで健常者より「聞こえる」し。キャラ立ちが甘い! 『ボーン・コレクター』のデンゼル・ワシントンなんか半身不随でっせ? 『アダムス・ファミリー』には手首だけのやつもいたぞ? 盲目の方は目が見えないのを周囲に悟られたくないがために見えるふりをする。なので相棒が相当近くにいるのに「オーイ!」と大声をあげる。最初の1回ぐらいは「フ…」ぐらい笑えたけどさ〜、それを3回も4回も繰り返すなっちゅーの。志の輔と山田隆夫の二人羽織みたくボクシングするとこはちょっとオモロかったかな。敵のボスも盲目で、音を頼りに盲目同士の撃ち合いになる展開はなかなか良かった。そこだけタランティーノに監督してほしい。

補足説明

・盲人と難聴…もっと面白い組み合わせ希望。閉所恐怖症と広場恐怖症とか、三重苦と四重苦(鼻がもげてる)とか、両手両足の無いやつと首の無いやつとか、遅漏と早漏とか。



『Mr.インクレディブル』(→公式サイト
 ディズニー&ピクサーのゴールデンコンビ解消1歩手前となる作品。

 怪力自慢のスーパーヒーロー・Mr.インクレディブルは投身自殺から助けた男の腰の骨を折ったとして逆に訴えられ敗訴してしまう。この日を境に各地のスーパーヒーローが訴えられ敗訴する事件が相次ぐ。やがて窮地の彼らの為に国がその保護に乗り出した。桁外れの力を封印し、民間人に混じって「普通の生活」を余儀なくされた彼、そして彼女らに明日はあるのか?

透明少女  ありきたりのヒーローものから1歩進んで、かつて活躍した彼らが再びその栄光を取り戻すまでを描く。いきなり続編のようなストーリー展開だ。
 Mr.インクレディブルの家族にはそれぞれ超人的な能力が備わってはいるが、決して万能ではない。足の速さだけが突出している、とか。それぞれの力が組み合わさったときに発動する「合体技」が面白く見応えがあった。また、各々が適材適所で能力を発揮するまでの「タメ」が実にうまかった。
 それからサミュエル・L・ジャクソンが声をあてているフロゾンがやたらに格好良かった。掌から冷凍ビームを放射して大気を凍らせ、どこでにでも道を作って滑走していく。パッと見は敵の雑魚と大して変わらないんだが、何か秘密があるんだろうか? もしかすると地上に出てロードランナーになれたボンバーマンみたく敵の雑魚出身かもしれない。続編ではそこらへんを掘り下げて欲しい……と言いたいところだけど、どうなることやら

補足説明

・ディズニー&ピクサーのゴールデンコンビ解消1歩手前…次回作の『Cars』でおしまいだとか。

・どうなることやら…ディズニーはピクサー抜きで『トイ・ストーリー』3&4を企画中(→ソース)だとか。



『Mr.ブルックス〜完璧なる殺人鬼』(→公式サイト
 ケビン・コスナーが二重人格の殺人鬼を演じるサスペンスだとか。
 「ケビン・コスナーが悪役(汚れ役)」と聞いて何を連想するかと言えば、『追いつめられて』、『さよならゲーム 』、『パーフェクト・ワールド』、『ウォーターワールド』などなど、枚挙に暇がないぐらいの作品で挑戦しながらどうにも当たり役にめぐまれてない印象を僕は持っている。ミーハーな映画ファン(=僕)からすれば、『アンタッチャブル』や『JFK』や『ボディガード』の溌剌とした、小奇麗な、善良なイメージが強すぎて、コスナーがどんだけ酒飲んだくれようが吐こうが無精髭生え散らかそうが人を撃ち殺そうが丸出しのチンポぐるぐる高速回転させて空の彼方に飛んで行こうが、「本当は悪くないのに、コスナーさん、ちきゅうにきをつかって……」という感じで、なんだか妙に痛々しいのだ。果たして今作ではどうなっているのか。

 大会社の社長であり妻と一人娘を愛するアール・ブルックス氏には一つの秘密があった。
 殺人依存症。
 手がかりひとつ残さない「指紋の殺人鬼」として世間を騒がせた過去を持つ。しかし、ここ数年はアルコール依存症の会に通い自身の暗い欲望を抑え続けてきた。
 だがある日、魔が差してついつい二人の男女を殺めてしまう。数日後、オフィスに現れた男に手渡されたのは、現場にたたずむブルックス氏の姿を鮮明に捉えた写真だった。

 これは良かったですよ? ブルックス氏の完璧な殺人の手法、手際の良さに惚れ惚れしてしまう。普通そこまでやらないってぐらい徹底して証拠を残さない主義。にも関わらず現場に被害者の血の指紋を残して自分の犯行だと誇示したがるような茶目っ気も持ち合わせている。複雑な人物像が魅力的だ。
 脚本・演出が巧すぎる。殺人鬼といっても普段は満点パパなわけで、この演じ分けをこなせるのは確かにコスナーを置いて他にいない。適役当り役と言える。こういう設定の場合、普段の善良な顔が仮面だという方向に流れがちだけど、ブルックス氏にとっては幸か不幸か殺人鬼も満点パパもどちらの顔も真実。心から家族を愛しているし、自分の殺人癖を心底悔いてことあるごとに神に許しを請うている。こういった二律背反は多かれ少なかれ誰しも内包するもので、非常に共感できる。二重人格であるブルックス氏の「心の声」をウィリアム・ハートが演じ、『ボギー!俺も男だ』のハンフリー・ボガートのように傍らで「おい、殺っちゃえYO! いざ、いざ」なんて囁き続ける。時には片方の冗談で爆笑したりする。この二人のかけあいがユーモラスで非常に面白い。そして別人格として合成のコスナーを出さなかったのは偉い。それやるとCGの出来不出来が気になっちゃうからな。人格を演じ分ける際の小道具である眼鏡の使い分けも地味にポイント高し。
 コスナーの紆余曲折、艱難辛苦、生みの苦しみをときどき遠くから見るともなく見てた者としては手放しでおめでとうと肩叩いてやりたい。

補足説明

・片方の冗談で爆笑…映像的にはウィリアム・ハートとケビン・コスナーが笑いさざめいてるんだけど、実際はコスナーが脳内ギャグでニヤニヤ独り笑い浮かべてるかと思うと可笑しくって。なんだかとっても親近感。



『ミスティック・リバー』(→公式サイト
 イーストウッド監督作品である、という以外に何の前知識も仕入れずに観た。登場人物が多めなので、頭を整理するために主要人物の評をしようと思う。結末までのネタバレを含むので注意。

ジミー・マーカム(ショーン・ペン)…二の腕に彫られた「力」の刺青がチャームポイント。泣いたり笑ったり仕送りしたり、最も感情的なキャラクター。

デイブ・ボイル(ティム・ロビンス)…誘拐されるわ陵辱されるわ妻からは信用されないわ、とても可哀想だった。しかも最期の最期になって尊厳を捨てて冤罪を認めてしまうし。良いとこ全く無し。それにしても、ただ「そう言えばやった…かな〜?」とだけ答えておけば良いようなものなのに、なんでもっともらしく「青春がまぶしかった云々」の尾ひれをつけたんだろうね。

ショーン・ディバイン(ケビン・ベーコン)…冒頭の少年3人と変質者のくだりで「なんか『スリーパーズ』っぽいな」と思ってたら登場したのでうけた。ラストでジミーに「逮捕しちゃうゾ!」みたいなジェスチャーしてたけど、それでいいのか? デイブ失踪しとるで? 妻も帰って来たし、どうでも良くなったんだろうか。2人にとってデイブは幼少期のトラウマを想起させる「いて欲しくない存在」だったのかもしれない。

黒人警官(ローレンス・フィッシュバーン)…モーフィアス。メモをとる。

デイブの妻…夫よりジミーを信頼し、頼った。

ジミーの妻…パレードのときすっごく幸せそうだったんだけど。殺されたのは連れ子だし、実はあんまり悲しくなかったんだろう。

しゃべれない少年…結局衝動的な殺人だったのか。ふざけて止めた車に兄貴の恋人が乗ってたなんて、そんな偶然あるのかね? あと、なんで通報したのかね?

しゃべれない少年の兄…「愛してるからか!」って叫んでたけど、違ってたんだなー。めちゃかっこわる。尋問されてから初めて拳銃のありかを確認するなんて鈍過ぎる。

しゃべれない少年の兄に鼻をキックされた少年…こんなやつかもしれんな。マカロニを殺したのは。

死んだ女の子…かなり運が悪い。


 イーストウッド作品と言えば、定型からちょっとだけ逸脱した妙なストーリー展開やカメラアングル、小道具の使い方に特徴を求めることができると思う。今作では

・おびただしい量の血が流されているはずの車中の様子が全く映らない。
・事件の真相を語る再現映像も無し。
・ケビン・ベーコンが聴き込みに行った家のテレビで鳥の腿焼きが大写しになってるのが画面右下にハッキリ見え、左の鏡ではケビンの背中がちらちら映る。
・ジミーの仲間にデイブが車で連れて行かれるシーンの構図は過去の誘拐事件のものを董襲。
・要所要所で十字架が映る。
・結局しゃべらない少年の声は聞けずじまい。

 などなど。
 イーストウッド監督は今回出演しなくて残念だったが、これは主役である3人の男達に鑑賞者の目が均等に届くようにという配慮だろう。



『ミスト』(→公式サイト
 S・キング原作。霧に包まれて、何やら怖い思いをする話らしい。

 暴風雨の兆しが濃厚ななか、イラストレーターのデイヴィッドは息子と隣人のノートンと共に街のスーパーマーケットまで備蓄用の日用雑貨の買出しに出かける。そこへ入り口から血まみれの男が入ってきて店内は騒然となる。

「霧の中から“ヤツら”が襲ってくる!」

折りしも店は突如として立ち込めた濃霧によって包まれたのだった。

 最初の触手が出て来たときには「ああ、結局これ系のキング映画ですか」みたいな半ば諦めにも似た感情を抱いた。しかしこの映画の真の面白さはそっち系ではなかった。閉所に缶詰にされた人々の精神状態や人間関係の推移を丹念に描く。ひとつ間違えば死が待ち構えるサバイバル的な状況。最初の「店を出て行くか否か」からエンドロールの瞬間まで、あらゆる局面で「あなたならどうする?」という問いかけを常にこちらに投げかけてくる。とくに「いかれた宗教女を信じるか否か?」に対する答えは難しいところだろう。実際何もかも異常なあんな状況じゃ彼女に論理的に反駁することなど不可能だし。ここは信じたふりをして「生贄! 生贄!」と叫んでるのが一番楽な選択に思えるのだが、果たして自分はどう行動するか、できるのか。間違った判断を下した者達を、結果論で批判できるのか。観終わった後になんとも言えない余韻が尾を引く。

補足説明

・これ系のキング映画…化け物の親玉みたいのを倒して終わり、みたいな。いや、別にいいけどさ。



『ミッドナイトクロス』
 音響の仕事をしている主人公が偶然録音してしまった破裂音。そこからある事件に巻き込まれることになる。録音室に引きこもって作業するオタッぽいトラボルタが良い。ラストの行動も一人よがりで悪趣味なオタ全開だ。



『ミッドナイト・ラン』
「セラノがディスクを受け取ったぞー!」
 ロードムービーの佳作。地味だけど好き。ロバート・デ・ニーロはバットマンの次の悪役希望。



『ミニモニ。じゃムービー/お菓子な大冒険!』
 前半はCGの背景に実写のミニモニ。によるショートコントとプロモーション映像、後半はCGアニメにミニモニ。が声をあてている。テレビでミニモニ。が映るときに高橋だけ変な黒いスーツを着てる理由がわかった。中澤さんが女王ナキャジェリーヌ29世役で声の出演。50分に詰め込んだのが良かったのだろうか。非常にスピーディー。考えてるうちに次のシーンへ飛んでいく。CGアニメもイロイロなタッチや効果を実験している感じで面白かった。この映画で知ったんだけど、矢口はもうミニモニ。卒業なんだ。次は独立上映で是非。そのときは女王ナキャジェリーヌ30世もヨロシク。



『ミュンヘン』(→公式サイト
 スピルバーグ監督。ドイツの都市ミュンヘンは英語ではMunichと綴られ「ミュニック」と発音するらしい。

 11人のアスリートがテロリストにより殺された1972年のミュンヘンオリンピック事件の後、イスラエル政府はテロの首謀者達に対する報復を決断する。政府が召集したのはイスラエル秘密情報機関モサドの一員アブナーと4人のスペシャリスト達だった。

エリック・バナ「モサド!」
キアラン・ハインズ「後始末係!」
ダニエル・クレイグ「ジェームズ・ボンド!」
マチュー・カソヴィッツ「おもちゃ職人!」
ハンス・ジシュラー「家具屋!」
ドクロさん「座れぇーーーー!!!」

 なんとも血なまぐさい映画だった。『プライベートライアン』と違って、殺すのも殺されるのも一見して民間人ばかりで、舞台が平和なヨーロッパの街並み。しかしスピルバーグはことさら悲劇性を強調した演出を施すわけでもなく、ひとつひとつの死をただただ即物的にグロテスクに描いていく。
 メンバーが一人一人「報復に対する報復」によっていつの間にか死んでいく展開が恐ろしかった。「就くと死ぬ任務」。呪いのテープみたいだ。



『ミラーズ』(→公式サイト
 『24』のジャック・バウアーことキーファー・サザーランド主演のホラー。

 誤って同僚を射殺した過去を持つジャックバウアーは神経症を患い警官を退職。その後NYの片隅にあるデパートの廃墟の警備員の職にありついた。

 ……で、まあその廃墟でいろいろ心霊現象にあうって話。正直全く怖くなかった。『リング』や『呪怨』を模倣しようとしたような形跡もあるんだけど。それに輪をかけるのがジャックバウアーその人だ。元警官の警備員って設定がもう『24』とかぶってるし。こいつが拳銃を構えるたびにどきどきキャンプにしか見えなくて吹きそうになった。こうなったら画面分割で家族の様子とか映して欲しかったな。バカの一人娘も配役して。
 中盤にかけてはなかなかのサイコスリラーっぽい雰囲気。かつて精神病院で目に余るキチガイとして名をはせた少女が鏡治療で更生したけど、精神病院は少女の別人格の集合体によって壊滅的な打撃を受けて閉店。その跡地に建ったデパートも放火魔によって崩落して廃墟になった。地縛霊はムシャクシャがおさまらず、たまたま警備員になった者をおどして少女クエストに旅立たせていた……というのが真相。シナリオとして弱いと思うのは、元凶である少女と放火魔の罪業が被るという点。しかも放火魔はすでに死んでる(伝聞形)し。結果として精神病院の犠牲者と火事の犠牲者がごっちゃになって余計わかりにくくなっている。しかもさ、『リング』における貞子出生の秘密を探るシークエンスの怖さを模倣したようなストーリーの割りに、当の貞子ことこの映画の少女は、毒気を抜かれて「良いピッコロさん」てな風情で地方の修道院でまんまと楽隠居してるんだな。ふっつーの修道女として。なにそれ! 挙句の果てにジャックバウアーに拳銃で脅され渋々地縛霊退治に乗り出す。後で言った「あなたの家族のために」ってセリフの白々しいことと言ったら! あと、肝心要の鏡を使った恐怖の数々も、古臭いというか……。『ポルターガイスト3』でゲップが出るほど見せつけられたパターンの集合体だった。全く怖くない。
 それから! こっからネタバレなんだけど、最後のシックスセンス的なオチは、家族に会ってから気づいて欲しかった。家族と2分割で進んでた意味がない。

  補足説明

・精神病院…結局ミラーズの亡霊は統合失調症を患った患者の別人格の集合体。オイオイオイ、いいのかその設定は???



『ミラーズ・クロッシング』
 イタリア系ギャングとアイルランド系ギャングの抗争。両者の間を上手に渡り歩こうとするトム。
 この映画に登場するギャングのボス2人はふんぞり返って葉巻をくわえ、暗殺されるのを待つだけの存在ではない。どちらもすさまじい戦闘力を発揮。これぐらい狂ってなきゃ務まらないんだろう。トムの行動が、どこまでが計算でどこまでが場当たり的なのか微妙。周囲のギャングから「キレ者」と評されるが、トムの真のタレントは「臨機応変な判断力」だろう。結構カッカしたり、ドジを踏んだりする人間的な部分も持つ。賭けが好きなのに負け続けるし。 コーエン兄弟の乾いた映像世界が魅力的。銃撃シーン、人が殺されるシーンどれひとつとっても、こだわりを感じる。どアップ、望遠、銃声のみ、などなど工夫が凝らされている。



『ミリオンダラー・ベイビー』(→公式サイト
 イーストウッド監督作。なんだかよく知らないがスポ根もので感動ものでアカデミー受賞らしい。

 ボクシングジムを経営するダンのもとに、ある日マギーがやって来る。女だてらにボクシングを習いたいと懇願するマギーの切羽詰った情熱に根負けし、ボクシングの指導をするダン。
 やがてプロデビューしたマギーのマネージャーも兼任するようになったダン。2人の絆は深まっていくが、ある試合でマギーは頚椎を破損。半身不随の体になってしまう……。

 ちょっとそれはないんじゃない? 真面目なスポ根もの自体そんな好きなジャンルじゃないのに、途中から輪をかけて大嫌いな難病ものになってしまう。悪い意味で脚本に騙された。イーストウッド作品には「思うようにならないのが人生だ」的なほろ苦さがつきもので、終わり方も手放しで喜べない余韻を残すものが多いけど、今回はちょっと救いが無さ過ぎる。皆無。良かったことと言えば、精神薄弱の男がジムに戻って来たことぐらいか? それにしたってマイナスがゼロになった程度のもんだよ。
 人生が思い通りにならなかったり、半身不随が大変だったりデブ女が意地悪だったり精薄がいじめにあったり、そういった嫌な出来事を映画館で金払ってまで追体験したいとは思わないな。そんなこともう知ってるし。何かアカデミーとかいろいろとったらしいけど、敗者の美学というか、人生負け組の物語にそれほど崇高なものを見出すことはないんじゃないかなー、と思うよ。こういう映画を評価する人っていうのは、心の底では自分は負けてない、という自覚があるんだろうな。まあ健康です。がんばれ。
 モーガン・フリーマンは格好いかった。そこだけ良い。

補足説明

・真面目なスポ根もの…コメディタッチのはわりと好き。

・難病ものになってしまう…逆のパターンだったらまだ許せたかも。難病の主人公が病を克服して何らかのタイトルなり栄誉なりを勝ち取る、みたいな。



『みんな〜やってるか!』
 カーセックスがしたくてたまらない男(ダンカン)が、とりあえず車を求める道中で巻き起こすドタバタ。
「映画とかお笑い自体も全部バカにするような映画にしたいと思ってやったのに、なんにもバカにできなくて、単なる出来の悪い、お笑いにもならないような映画になってしまった。やっぱり映画をもうちょっと知らないと、壊すこともできない」
 北野武ならぬ「ビートたけし」として監督した初めての作品だが、自身は失敗作だと断言している。ちなみにバイク事故直前の作品。
 ストーリーや伏線が皆無に等しい。映画と言うよりもコント集っぽい作り。例え鬼っ子扱いだとしても、僕はこの映画が好きだ。可笑しいと思う。とくに前半、ひたすら小ネタを繰り出す部分が良い。ダンカンの行動が行き当たりばったりの極み。途中で折角スポーツカーを手に入れるのに、その頃には当初の目的を忘れているので素通り。何度も繰り返されるダンカンの即物的な妄想や、はにかみながら「マンボ! マンボ?」と半裸で踊るガダルカナル・タカ、端役オーディションの「ワキ毛で遊ぼ」などなど、あんまりなギャグの数々に吹き出してしまった。深夜放送でたまたま見かけて…、という鑑賞の仕方が良かったのかもしれない。「ビートたけし」監督の2作目に期待。出ないと思うけど。
↓音楽のチョイス&ヤケクソな配役の多さに雰囲気を感じとってください
http://www.jmdb.ne.jp/1995/ds000320.htm



『メダリオン』(→公式サイト
 ジャッキー・チェン最新作は香港映画。公式サイトにある「ハリウッド最新SFXとジャッキー・チェンの完璧なアクションがこれほどまでに融合した映画があっただろうか!?」との触れ込みに『タキシード』を思い出し、ものすご〜く不安な気持ちを抱きながら鑑賞に赴いた。

 メダリオンの裏と表が揃うとき死人が復活する。復活した死人は神をも凌ぐパワーを得ることが出来る。悪者来るー。ジャッキー追うー。

 まあそんな感じの愚にもつかないストーリーは上半期最低作品との呼び声も高い『バレット・モンク』を彷彿とさせるわけで、字幕なんか追わずにジャッキーのアクションに集中するが吉。すると、ジャッキー途中で死んじゃっただよ? 霊安室に横たわるジャッキー刑事。きれいな顔してるだろ? 死んでるんだぜ、それで……嘘みたいだろ……。嘘でした。結局メダリオンのヒーリングパワーで黄泉がえりましたとさ。そこからはハリウッド最新SFXとやらのおかげでアクションがつまらなくなるのは『タキシード』のときと同じ。ラスボス戦なんか、傍で見てた小坊主(メダリオンの主)が変なタイミングで「メダリオンでとどめを刺すんだ!!」って叫び、「え? いまジャッキーの方が追いつめられてたやん?」と不思議に思ってるうちにメダリオンがボスの体にめりこんで終わってた。あ〜あ。
 今回の見所は、すぐに生き返るとは言え、恐らく主役としては初めてジャッキーの死に様を見ることができることかな。次に何かを初めてやるとしたら

1.最後に殉職
 あんまり見たくない。その後のNG集も後味が悪くなるし。
2.最後に自殺
 自殺と言っても、仲間を助けるためとか、ビグザムのIフィールドを消すため特攻するとか、わざと悪魔に憑依させて窓から身投げとか、マイクロチップを未来に残さないために溶鉱炉に身を沈めるとか。
3.悪役
 『燃えよドラゴン』みたいな端役じゃなく。『リーサル・ウェポン4』のジェット・リーみたいに。普通にやっても死にそうにないので、時計塔から落ちてローラー車に轢かれた上をパレードの鼓笛隊が通り過ぎるぐらいやってくれないとファンは納得しない。

 ……こんなもんだろうか。『バットマン』の悪役なんか良いかも。



『メメント』
 何者かに目前で愛妻を殺されたショックで前向性健忘という記憶障害になってしまった男が主人公。男は復讐を決意するが、発病以降の記憶が10分しか続かない。そのため、膨大なメモをとりながら、直接犯人に結びつく重大な手がかりは、体のあちこちに刺青として残していく。
 映画は時間軸がバラバラに進んでいくので、シーンごとに主人公と一体になって「5W1H」を体験できる仕組み。これがすごく面白い。たとえばあるシーンは駐車場の車の列を挟んで主人公と別の男が走っている場面から始まるのだが、主人公はハッと自問する。「俺はあの男を追っているのか?」。次の瞬間「あの男」が発砲してきて「いや、俺が追われてるんだ」と気づく、という具合。どうやら極限状況=メモるヒマがない場合ほど記憶も揮発的に飛んでいくようで、それが緊迫感を高めている一方滑稽にも見えるのがポイント。まるで「もしも忘れっぽい探偵がいたら」という小ネタ集のよう。結末がオカルトっぽくないところも良い。



髪ピーン 『メリーに首ったけ』
 動物虐待ネタ、身体障害者ネタ、知的障害者ネタ、死体ネタ、同性愛、フェチ、ストーカー、女性差別その他、ありとあらゆる悪ノリギャグをつめこんだ感じ。一緒に観る人を選ぶ映画か。キャメロン・ディアスの前髪がピーンと立つシーンでは爆笑。



『メン・アット・ワーク』
 エミリオ・エステベス&チャーリー・シーン兄弟共演。コメディ・タッチのアクション。ドラム缶に入った議員の死体を見つけたゴミ収集業者のシーン&エステベスが右往左往する。警察嫌いの2人は通報せずに独力で真相を追う。死体を見られたピザ屋の出前は拉致するわ警官を縛るわ、やりたい放題。そもそも家に死体を置いてる状態でピザなんか頼むのが狂ってる。取り敢えず黒幕をやっつけた時点で幕切れなんだけど、その後で逮捕されると思う。最後までしつこいくらい繰り返される死体ギャグが可笑しかった。



『メン・イン・ブラックU』
 奇妙なエイリアン達がたくさん出てくる。敵のボスがセクシーでやった! トミー・リー・ジョーンズが記憶を取り戻すまでが特に面白かった。というか、その過程にほとんどを費やしていたような。そういう、中味と言えるものがほとんど無い楽しい映画だ。ラストの意味も良くわからなかった。
 マイケル・ジャクソンがカメオ出演。



『モーテル』(→公式サイト
 予告編を見るに、山奥のモーテルに閉じ込められた夫婦が恐慌におちいってアタフタする映画らしい。密室的な状況が大好きなので、ジョーズのフリしたお騒がせ少年ことピサロの手下こと沈黙のチンチンことヤックンこと安井僚介を説得して観に行った。

 ある夫婦が旅行中にどことも知れない田舎の山道で車が故障してしまう。駆け込んだ近くのモーテルの一室で何気なく再生したビデオテープのホラー映画を見るうちに、夫は異常な事実に気づく。悲鳴をあげる犠牲者を追い詰める殺人鬼。そこに映し出された部屋は、今まさに自分達が泊まっている部屋だったのだ。

 いやまあ、好きな設定なので面白かったですよ? でも、予告編で見た「ビデオに映ってるの、この部屋じゃん!」ってわかるまで、わかる瞬間の恐怖がこの映画の頂点かな。ある意味そこでオチてる。そっからはダラダラとした展開。なんというか、もっと練りこんだら傑作になったかもしれないのにな。惜しい。例えばこの夫婦、何回か脱出するチャンスがあるのに「そんな簡単に出て行けるわけがない。孔明の罠だ」なんつって疑心暗鬼になって閉じこもってんの。ちょっと走れば真っ暗な山の中なのに。2人が逃げ出せない理由づけとしては弱い。まわりが雪山とか、子供が人質にとられるとかすればいいのに。
 いろいろアラがあるけど最後まで飽きずに見れたので良しとしよう。鑑賞後に入った麺家大海で心の中で首肯していたら、対面の安井が真っ赤になって眼輪筋ピグピグさせながら「テラワロス! テラバロス! この監督マジでリアル厨房! 消防! 池沼!」とまあ、信州味噌ラーメンの汁と麺吹き出しながらまくしたてて箸振り回しながら脱ぎだしたので、なだめる振りして近づいて箸立てで後頭部を強打して失神させて店員さんに謝りながら店を後にし両手首を縛って商店街の入り口にふんどし一丁でぶら下げといた。

補足説明

・密室的な状況が大好き…生まれ変われるなら密室になりたいぐらい。

・子供が人質にとられる…夫婦が戦わなきゃいけない理由としてこれ以上のものはないだろう。だが実際はこの夫婦の1人息子は事故で最近死んでいる。あまり意味があるとは思えない設定。



『目撃』
 政府の高官宅に忍び込んだ泥棒(クリント・イーストウッド)がお宝を頂戴して逃げ出そうというとき、偶然に大統領(ジーン・ハックマン)のスキャンダルを目撃する。大統領と不倫中の女が喧嘩になりナイフを振りかざした女がSPに撃ち殺されたのだ。このシーンでマジックミラー越しにあたふたするイーストウッドの1人演技が見物だった。「さ〜てお宝も頂いたしトンズラ……って誰か来てドーン!! なんやなんや? だれこちゃん? 大統領でっか? なにこれドッキリ? 女も? やべーなこれ、マジックミラー知ってっかな? ちょまっ! それ! リモコッ!!! ふ〜……。ステレオかよ〜、おどかすない。あーこれ、股ぐらに顔つっこんで……ワシ天然のデバガメ系? みたいな? なぐっ、乱暴だなぁ〜、女に暴力なんて許せないよ〜、でもワシなんて泥棒だしな〜。ナイフ! あぶっ! 銃声! ドンドンSP! ドンドン2人!! ってまた人来たりてドドンがドーン!! お祭り騒ぎやがな。通報するのか? 警察とSP2大スターの共演実現か? 警察、SP、警察、SP、2層ダレ! おっと〜、隠匿しますってか? オッシャとりあえずセーフ。大統領情けないな〜。あ、ナイフ! ナイフ落としてった!!」……こんな心中を表情だけで表現するのである。やはりイーストウッドは素晴らしい俳優だ。



『もののけ姫』
 「森の賢者」と呼ばれるショウジョウという猿みたいな生物が可笑しかった。気に入らないと石つぶてや棒きれを投げつける。「ニンゲン、クウ。ニンゲンノチカラモラウ。ニンゲンヤッツケルチカラホシイ。ダカラ、クウ」って、人間を食べたがる。どこらへんが賢者やねん。
 木を植える者と刈る者では刈る者の方が圧倒的に強いな、と感じた。



『モールス』(→WIKI
 2008年のスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』のリメイク。事前にDVDでオリジナルを鑑賞し、非常に面白かった。果たしてリメイクの出来はどうだろう。

 いじめられっ子のオーウェンは隣に引っ越して来たアビーに不思議な共感を覚え、友だちになる。しかしアビーには秘密があった。彼女は夜しか表に出ることができない吸血鬼だったのだ。

 思っていたよりオリジナルに忠実に作ってある。ただ、人に薦めるとしたら断然こっちよりオリジナルだな〜。せかっくだからオリジナルと比べて劣っている点を挙げていく。まず、一番残念だったのがオーウェンが「豚みたく鳴け」って独りで樹の幹をナイフで突いてるオリジナルの冒頭シーン。あれがまるごと削られている。「いじめられっ子あるある」的な面白さもさることながら、このシークエンスが抜け落ちたせいで中盤のなけなしの勇気を振り絞った反撃が唐突に感じられる。また、アビーの付き人(付き人間)であるトーマスが街でよそ者ににらまれるシーン関連も削られていて、トーマスの人間側でも吸血鬼側でもない微妙な立場・悲哀が伝わってこない。オーウェンが殺人記事を収集しているちょっとおかしな子供である描写もカット。これにより何故アビーのような変人に惹かれていくかの動機づけも曖昧になってしまった。より普遍的で、シンプルな淡いラブストーリーにしたかったのかな。とにかくオリジナルの『ぼくのエリ 200歳の少女』、オススメ!



『モンキー・シャイン』
 『ゾンビ』のジョージ・A・ロメロ監督。半身不随になった主人公を、バイオテクノロジーで高度な知能を獲得した猿が介護する。猿はやがて主人公の怒りを読み取り、周囲の人物を勝手に殺しだす。最後に主人公も殺し始める。発表年月日が近い『ミザリー』の影響を感じる。



『モンキーボーン』
フリーキー  事故で昏睡状態に陥った人気イラストレーターの魂が向かったのは、臨死者の悪夢が渦巻く「ダーク・タウン」だった…。
 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のヘンリー・セリック監督が送るファンタジックコメディ。4本腕のピアニスト象、点滴カクテル、「ゲルニカ」の牛っぽいバーテン、ミッキーマウス似の看守、クジョーに噛まれたスティーブン・キング(本人)、眼窩から正体不明の一つ目のモコモコをはみ出させながらノコギリを振りかざすモノクロの医者、ウーピー・ゴールドバーグ、etc、etc…。フリーキーなイメージの洪水。後半に登場する「体操選手」が強烈。



『モンスターVSエイリアン』(→公式サイト
 『シュレック』シリーズのドリームワークスが放つアニメーション。

 カリフォルニアの片田舎に住むスーザンはエリートテレビマンとの結婚を待ちわびるごく普通の女性だったが、挙式の当日に隕石に当たったおかげで巨大化して軍部に拘束される。謎の地下施設で彼女の「同僚」として紹介されたのは半魚人に巨大幼虫にゴキブリ博士にアメーバなどなど、いずれ劣らぬ怪物達だった。

デカい女  天高くそびえ立つスーザンの女体をローアングルから執拗にねめつけ回す結婚式のシーンは特に良かった。教会よりもでかい女性が恥らう姿は新しいエロスの一分野を切り開いた気がする。とくに長身女性好きにはたまらないのでは。「ズルい女」や「カレーライスの女」に続く「〜女」シリーズのひとつとしてつんく♂せんせいに「教会よりもデカい女」という歌にして欲しい。話が進むとスーザンが堂々としてきて、カメラもスーザン目線になり、あんまエロくなくなるのが残念。スーザンに限らず人物がアップになるとそばかすや毛穴や後れ毛まで見える。CG技術の進歩を感じたけど、鳥山明みたいな顔でやられると違和感があった。店先の陳列棚に飾られた人体模型をよく見ると産毛が白桃のようにビッシリ生えてたような、江戸川乱歩調の不気味さ。

補足説明

・天高くそびえ立つスーザンの女体…『あばしり一家』の最終回を思い出してしまった。排泄とかどうしてたんだ。音波砲を音姫代わりにするとか?



『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』
 モンティ・パイソンの映画は、テレビシリーズと比べて面白さがイマイチだと思う。しかしこの映画だけは別格。いま観ても充分面白い。アーサー王伝説なんか知らなくても楽しめる。